私たちは日々老い、死に向かって生きている。つまり、“老い”と“死”は命ある者が避けられない宿命。しかし、人間は古来それに抵抗し“不老不死”を願い続け、今日でも“アンチエイジング”という言葉が巷(ちまた)に響く。“老い”は憂鬱(ゆううつ)で否定されるべきもので、“若さ”は輝かしく肯定すべきものなのだと。が、それは本当だろうか?
大野五郎(1910~2006年)と小野幸吉(1909~30年)の2人回顧展を通観すると、老いの自由と若さの苦悩が強く感じられる。
大野と小野は旧友で、ともに昭和初期にフォーヴィスムの刺激を受け、1930年協会展等に出品した。

小野幸吉《八重根港》1927年油彩八王子市夢美術館蔵
小野幸吉は20歳で亡くなり、活動期間は実質4年ほどだが、激しいタッチと強烈な色彩で若き感情を叩(たた)きつけるような画面が、夭折(ようせつ)の画家として一定の評価を得てきた。そんな小野の作品を見ていると自由奔放というよりも、絶えず迷い悶々(もんもん)としながら、それを振り払おうとあえて大胆に描こうとしているように思える。画面全体がどこか息苦しいのだ。例えば、彼の激しいデフォルメはもはや描こうとする対象から離れて、絵の具の塊へと向かう。それは表現というより、描く苦悩の跡。何より解放感が感じられないのだ。

大野五郎《夕陽おちて雪の景》2005年油彩八王子市夢美術館蔵
一方、大野五郎は戦中の新人画会、戦後は自由美術家協会(当時)を経て主体美術協会の創立に参加...
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