15日は「海の日」。その起源になった補助帆付汽船「明治丸」が今年11月、完成から150年を迎える。灯台巡視船であり、明治天皇をはじめ政...
完成150年を迎える「明治丸」=江東区で、本社ヘリ「あさづる」から
15日は「海の日」。その起源になった補助帆付汽船「明治丸」が今年11月、完成から150年を迎える。灯台巡視船であり、明治天皇をはじめ政府高官が乗船する「ロイヤルシップ」の役割も兼ねた。小笠原諸島の領有の基礎固めに寄与するなど近代史の担い手ともなった。現存する船を訪れ「航跡」をたどった。
船内で行われた機関科実習の様子=1917年撮影
JR京葉線・越中島(えっちゅうじま)駅から徒歩5分ほど。東京海洋大越中島キャンパス(江東区)の芝生に定置されている明治丸が見えた。全長約75メートルで白い船体、黄色い3本マストが鮮やかに映える。明治政府が英国に発注して建造。国内で現存する唯一の鉄製の船で、国の重要文化財に指定されている。老朽化のため、同大と文部科学省が2015年に1年強の改修工事を終えた。
明治丸の活用に詳しい庄司邦昭・同大名誉教授に案内してもらった。「当時の最優秀船だったので、小笠原が日本の領土になるのに大きく貢献しました」。1875(明治8)年、小笠原諸島の領有権問題が生じた際、英国船より2日早く父島に着いた。島民代表を明治丸の船上に集め、政府が領有の方針と調査のために来島した旨を伝えた。翌年に問題は決着した。
甲板後方に設置された舵輪(だりん)について説明する庄司邦昭名誉教授
小笠原諸島は、日本の領海と排他的経済水域の約3分の1を占め、近海には豊富なレアメタル(希少金属)など海底資源があると近年分かってきた。「日本の将来への貢献も大きかったのです」と庄司さん。
小笠原航海の翌年、明治天皇は東北・北海道巡幸を終え、明治丸で7月20日に横浜に帰着。この日が1941年に「海の記念日」、96年に「海の恩恵に感謝する日」として国民の祝日「海の日」となり、2003年から7月第3月曜日に変更された。
(左から)建造当時のものに復元された船尾飾りや角窓、明治天皇の居室「御座所」=いずれも江東区で
船内には、明治天皇の居室「御座所」や、政府高官らが食事の時に集うマホガニー材のテーブルが置かれた「サロン」が復元されている。船員の部屋の仕切りにもなった鉄製の梁(はり)が残り、欧米列強に肩を並べようとした往時をしのばせる。
(左から)マホガニー材のテーブルなどが置かれたサロン、鉄製の梁=いずれも江東区で
明治丸は灯台巡視の任務を終えて1896年に、東京海洋大の前身の商船学校に譲渡された。係留練習船として再出発し、1923年の関東大震災の際には、避難者500~600人を受け入れた。45年に米軍に接収されるまで学生5千人以上が実習で育った。
庄司さんは「文化財は、市民に愛されないと守っていけない。まず明治丸を知ってもらいたい」と話す。
伊藤博文による回航指令書
東京海洋大は15日午後1~3時、シンポジウム「明治丸150年の航跡」を越中島キャンパスの越中島会館2階講堂で開く。庄司さんら同大名誉教授3人が明治丸の果たした役割などについて講演する。
明治丸が15日午前10時から午後4時に一般公開されるほか、明治丸そばの明治丸記念館では10月末まで特別展示を開催。伊藤博文がブラウン船長に送った明治丸の横浜への回航指令書の原本など約60点を展示。いずれも入場無料。問い合わせは明治丸海事ミュージアム=電03(5245)7360=へ(14日は休館)。
文・増井のぞみ/写真・由木直子、平野皓士朗
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